ビットコイン終章:ウォール街のペットか、権力を食うトロイの木馬か?

2025-10-20T10:10:00+08:00 | 19分で読めます

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ビットコイン終章:ウォール街のペットか、権力を食うトロイの木馬か?

はじめに

2025 年は BTC にとって激変の年だ。市場はボラティリティの中で方向性を探り、思想面でのぶつかり合いはさらに熱を帯びている。分散化という理想から生まれたデジタル・ゴールドであるビットコインのエンドゲームは、伝統的な金融帝国に飼い慣らされたおとなしい資産で終わるのか、それとも権力の中枢に忍び込むトロイの木馬なのか。

最近フォローしているクリプトインフルエンサーのお二人の議論が、まったく異なる視点を示した。

視点 1:飼い慣らされた資産、物語は最終章へ

10 月 11 日の夜、ビットコインの暴落とともに取引所の取り付けがピークを迎えた、郭宇がこんなポストをした。

暴落に乗じて、becky とここ十数年のビットコイン価格についての自分の理解を軽く語った。録音には具体的な人や会社が出てくるので公開できない。かわりにテキスト版をまとめておく。

ビットコインの真のプライスディスカバリーは三つのフェーズに分かれると考えている。太古の OTC 取引フェーズ、中央集権型取引所のオーダーブックフェーズ、そしてビットコイン ETF 承認後のウォール街による蓄積フェーズだ。

太古の時代は場外取引が主流で、価格は非常に離散的だった。裁定機会が多かったためアービトラージ勢が走り回っていた。当時の最大の利幅はマイニングにあり、長い期間にわたってマイナーの採掘コストがビットコインの実勢価格の基盤を決めていた。この段階ではデリバティブが存在せず、価格変動は現物の需給とマイニングコストだけで決まっていた。Mt.Gox のような初期の現物マッチング型プラットフォームも生まれたが、破綻で 80 万枚以上のビットコインが盗まれ、この出来事が後続の CEX の進化方向に伏線を残した。

中央集権型取引所(CEX)の時代になると、OTC 取引は効率の高いオーダーブックに置き換わったが、副作用も出てきた。多くの取引所は初期には真の現物受け渡しを扱わず、資金安全や利益の観点から、本来クリプトに持ち込むべきではないと考える先物、さらには無期限契約まで導入して主力ビジネスにしてしまった。これが後のビットコインのプライスディスカバリーに大きなハードルを設け、ボラティリティが増幅される一方で、価格モデルは供給と需要の基本ロジックに従わなくなった。何よりもこのフェーズでは、CEX が自らトークンを発行し、一次市場に参加し、審判とプレイヤーを同時に務めるようになった。

最後のフェーズはビットコイン ETF 承認後のウォール街による乗り換えフェーズだ。あの日、「ビットコインはもはや無制限な債務膨張に対抗するという設計初期の意味を失った」とポストした。というのも、その瞬間から今日まで、毎日ウォール街がビットコインを自分たちの手に移しているからだ。その背後には CEX をどのように利害関係者に組み込むか、どのカストディアンを選ぶか、どう現物のプライスディスカバリーを握るかといったロジックがある。以降、CEX の現物在庫と出来高は価格が上がろうと下がろうと急激に縮小した。自分は CEX の出来高ではもはやビットコインの真の価格は反映されないと見ている。長い間もっとも適切だと観察している指標は、マイニングファームが半年後に引き渡す先物価格だ。現物取引がさらに縮むにつれて、近いうちに複数の CEX の主力収益が大きく侵食され、現物価格は十分に乗り換えが済んだあとにフラットに向かうだろう。

見てのとおり、ウォール街の次の一手はメジャーなトークンを利回り資産に変えることだ。そうなれば価格はさらに安定に向かい、最終的に米株がブロックチェーンの主要なトレーディングアプリケーションとなり、ドル覇権と米国債を次の金融時代へ持ち込むことになる。

つまり、ビットコインの物語はすでに終章に入った。四年周期は終わった。残念ながら、それは本来の設計目的ではない。しかし、それでも良いストーリーだ。この文字起こしは暴落の夜に書いた。永続先物の時代はそう長く続かないから、いまのボラティリティを大事にしてほしい……

郭宇 (@turingou), 2025 年 10 月 11 日

AI に整理してもらった彼のコアなポイントは以下。

三つのフェーズ

  1. 太古の時代:OTC(場外取引)とマイニングコストが支配

    • 取引形態:場外取引が中心で価格は散発的。裁定機会が多かった。
    • プライシングの核:マイナーの採掘コストが長期にわたって価格の基盤を決めた。
    • 特徴:現物の需給だけが価格を動かし、複雑な金融デリバティブはまだ存在しなかった。Mt.Gox の出現と破綻が象徴的出来事。
  2. 中央集権型取引所(CEX)の時代:オーダーブックとデリバティブ

    • 取引形態:効率的なオーダーブックが OTC を置き換えた。
    • 問題点:
      • 取引所が先物や特に無期限契約を導入し、ボラティリティを増幅させて価格を供給需給の基本ロジックから乖離させた。
      • CEX 自身がトークン発行と一次市場に参入し、審判とプレイヤーを兼任する立場になった。
    • プライシングの核:CEX とそのデリバティブが価格発見を大きく歪め、現物市場の実情を映さなくなった。
  3. 現段階:ウォール街参入と ETF の時代

    • 象徴的イベント:ビットコイン現物 ETF の承認。
    • コアな変化:ウォール街がシステマティックに CEX やリテールからビットコインを吸い上げ、現物のプライスディスカバリーを握り始めている。
    • 結果:
      • CEX の現物残高と出来高は縮小を続け、そのデータでは真の価格を映せなくなった。
      • 彼は、半年先に引き渡されるマイニングファームの先物価格こそ、現状もっとも妥当な評価曲線だと見る。
      • ウォール街の「乗り換え」が進めば進むほど現物価格はフラット化し、ボラティリティは大きく低下する。

予測

  • ビットコインの終着点:ビットコインの物語は「最終章」に入った。ウォール街はメジャーなトークンを利回り資産へ転換し、価格は安定し、ドル覇権と米国債を次の金融時代へ連れていく。
  • 初期理念の喪失:郭宇は、ビットコインが「無制限な債務膨張に抗する」設計初期の目的から逸脱したことを残念に思っている。
  • 投資家へのメッセージ:「いまのボラティリティを大切に」。ウォール街が深く関与するにつれ、無期限契約と激しい値動きの時代は長くは続かないと予言する。

要するに、彼は去中心化という理想から生まれたビットコインが、伝統的な金融プレイヤーに取り込まれ、改造され、既存の金融覇権に組み込まれていくマクロな過程を批判的に描いている。

視点 2:トロイの木馬、真の浸透はまだ始まったばかり

一方で paulwei は、まったく逆方向の「反転」理論を提示する。ウォール街と政府による BTC の接収こそ、BTC がより深い目的を遂げるための手段だと言うのだ。

郭宇は「BTC の真の価格発見は三つのフェーズだ」とまとめ、 第三フェーズ「ウォール街と政府が BTC を接収したあと」 「BTC の物語はすでに終章に入った」と言った。 でも僕は、価格以外のところに BTC の物語がさらに深いフェーズを持つ可能性があると思っている。

もしウォール街や政府が BTC をコントロールできるなら、 実際には BTC も国家をコントロールしつつある。

この逆方向の発想に立つと、 BTC の価格は、より深いフェーズを実現するための中間手段にすぎない。

歴史を振り返れば、権力が新技術を「接収」しようとするたびに、 印刷術、電力、インターネットのように、最終的には 権力側が新しい技術構造によって組み替えられてきた(ここでは数千字省略)。 たとえば Trump は、インターネットを使わなければ当選も統治もできなかった。 BTC に至っては、その組み替えはさらに強烈な「反噬」になり得る。 国家やウォール街、中央銀行が「BTC を取り込む」と決めた瞬間、 彼らは BTC が仕掛けた「プロトコル・トラップ」「ハニーポット」に自ら足を踏み入れる。

見た目は征服で、実際には「自ら感染する」ことになる。

彼らは利用しているつもりでも、結局はそのルールに従わざるを得ない。 分散型台帳、透明な決済、有限発行、不可逆性、グローバルコンセンサス。 こうした特性は政治的に書き換えるのが極めて難しい。成功するハードフォークでも起こさない限り無理だ。 しかもハードフォークは、遅くなればなるほど難易度が上がる。 だから彼らが BTC を「抱きしめれば抱きしめるほど」、 彼ら自身が生き延びるためにもともと頼っていた中央集権的なコントロールの裏側を手放すことになる。

ウイルス的な視点で見ると、BTC は単なる資産ではなく 金融ルールのウイルスだと分かる。 政府がそれを ETF や規制、税制システムに組み込むとき、 実は国家機械をこのウイルス的プロトコル上で走らせている。 政府は表向き紙幣を刷り、国債を発行していても、 その裏側では BTC のルールによって行動が縛られる。 BTC への介入が深くなるほど、この「反転した制約」は強まる。 ついには、政府の通貨権が BTC プロトコルの「API コール」に降格する(政府の通貨権はフロントエンド、BTC プロトコルがバックエンド)。

こう考えると、 BTC は飼い慣らされるのではなく、受け入れられることで自己増殖を完了させる。 まさにトロイの木馬だ。 「規制され ETF 化された」姿で城門に入っていき、 最後は城内のシステムのコードを書き換える。

中本哲史は、このウイルスを設計したときにすでにこの層まで考えていたのかもしれない。

このプロセスにはあと 10 年、あるいはもっと長い時間がかかるかもしれない。 しかし米国大統領の任期は 4 年だ。仮にこの層まで見通せたとしても、 彼らは当座、せいぜい 10 年程度の損得勘定を優先する。 寿命の長いウイルスにとっては絶好の条件だ。 よく言うだろう、「自分の死後に洪水が来ても構わない」と。

BTC で準備や決済を進めれば進めるほど、中央集権的な権力は気づかぬうちに 通貨発行権の絶対的な主導権を手放していく。 彼らが接続しているのは単なる技術プロトコルではない。 自己増殖し、不可逆な金融生物なのだ。

ましてや、Crypto は AI や AGI が経済的な自律性を持ち、 単一政府が簡単には止められない能力を得る唯一の道でもある。

BTC の最終章は、時価総額の拡大でも、 伝統的な中央集権通貨をひっくり返すことでもない。 権力が自ら進んで感染し、自己消化していくことこそがゴールだ。

paulwei (@coolish), 2025 年 10 月 13 日

コアな主張:ビットコインは「金融ルールのウイルス」であり「プロトコル・トラップ」だ。

  1. 逆方向の視点: paul は「権力が技術をコントロールする」というレイヤーだけでなく、「技術が権力を反転させる」可能性を見るべきだと言う。印刷術、電力、インターネットを例に、新技術が最終的には権力構造を組み替えてきたことを説明する。

  2. 「自発的感染」というハニーポット: 政府や中央銀行、ウォール街がビットコインを規制の枠に取り込み(ETF 承認や課税など)、飼い慣らしているように見えて、実際はビットコインが仕掛けた「プロトコル・トラップ」に自ら足を踏み入れている。

  3. ルールの強制力: このシステムに入った瞬間、分散型台帳、透明な決済、有限発行、不可逆性、グローバルコンセンサスといったビットコインのコアなルールに従わざるを得ない。これらはプロトコルに埋め込まれており、成功するハードフォークでも起こさない限り政治的に変更するのは極めて難しい。

  4. 権力の希釈(反噬):

    • 権力の中枢(政府や中央銀行)がビットコインをストレージや決済に深く使えば使うほど、無限のマネー・プリントや不透明なバックエンドというコアな優位性を手放すことになる。
    • paul は、政府の通貨権が最終的にビットコイン・プロトコルのバックエンドにある「API コール」にまで格下げされるという比喩を提示する。

ビットコインの終局:飼い慣らされるのではなく「城内でコードを書き換える」ことだ。

  • トロイの木馬: paul は ETF や規制を、ビットコインが伝統的金融の城門に入るための木馬だとみなす。外見は戦利品でも、実態は転覆装置だ。
  • 時間スケールの優位: ビットコイン・プロトコルの寿命は無限だが、政治家の任期(米国大統領なら 4 年)は有限だ。政治家が短期の利益しか見ないことが、ビットコインという「長寿ウイルス」の浸透と複製を後押しする。
  • 最終目的: paul によれば、ビットコインの最終章は時価総額の膨張でも旧システムの直接的な打倒でもなく、「自発的感染」を通じて中央集権的な権力が知らぬ間に自己消化していくことだ。

先ほどの「ビットコインの物語は終章に入った」という悲観論とは異なり、paul はより破壊的で、ビットコイン原理主義者から見れば楽観的ですらある未来像を提示する。ビットコインの真の力はプロトコルそのものにあり、金融生物やウイルスのように受け入れられることで宿主(伝統金融や国家権力)を根底から作り変えるというのだ。

要するに、paul はビットコインの争点を純粋な金融資産のレイヤーから、プロトコルが文明と権力構造をどう進化させるかというレベルへ引き上げている。

ベアかブルか?二つのまったく異なる未来像

これは非常にニュアンスの多い見方で、単純に「ベア」判定では片づけられない。

二つのレイヤーから理解できる。

  1. 価格レイヤーでは、必ずしもベアではない。

    • 二人もビットコイン価格が崩壊し、長期で下落すると予想しているわけではない。むしろウォール街が吸収して「乗り換え」たあと、価格がフラットになる点では一致している。
    • 安定し、ウォール街に受け入れられ生息資産化したビットコインは、伝統的な金融ポートフォリオの一部となるため、高い水準で安定する可能性がある。
    • ボラティリティについてはベア寄りだ。今後、暴騰暴落の機会は姿を消すと示唆している。
  2. 理念と将来性のレイヤーでは、むしろ極端なベア寄りとも言える。

    • これが郭宇のコアな主張だ。ビットコインは分散化や法定通貨のインフレへの抵抗という社会実験であり金融革命だったが、その「物語は終章に入った」と考える。
    • 彼にとってビットコインは、もともと覆そうとしていたシステム(ウォール街、ドル覇権)に取り込まれ同化され、設計の初志や魂を失った存在になってしまった。
    • 彼が悲観的なのは、ビットコインの革命的なナラティブと四年サイクルのロジックに対してであり、もはや超過リターンをもたらす「ビットコイン」ではなく、伝統金融の中の普通(ただし重要な)資産に落ち着くという見方だ。

まとめるとこうなる。

郭宇は「ビットコインは下がるから逃げろ」と言っているのではなく、「ビットコインの草創期と革命譚は終わった」と言っている。

  • 激しい値上がりと伝統金融への反逆を求めてビットコインに投資していた人にとっては、彼の見方はベアに映る。
  • 一方で、ビットコインが安定し主流に受け入れられる価値のストア(デジタルゴールド)のような存在になることを望むなら、革命性を失ったとしても、その結末はむしろブルだと言える。

つまり、「ビットコインの夢」には悲観的だが、「ビットコインの価格」にまでベアとは限らない。

深掘り:人がプロトコルを変えるのか、プロトコルが人を変えるのか?

この二つの見方が投げかける問いは、人がプロトコルを変えるのか、それともプロトコルが人を変えるのかということだ。ビットコインの「逆向きの拘束」は本当に存在するのか?

バランスシートに空いた「ブラックホール」

二つの見方は矛盾せず、同じゲームの異なるレイヤーとフェーズを描いている。現実はおそらく両者のあいだ、つまり「人とプロトコルが互いに変化し、共進化する」プロセスだろう。

「人がプロトコルを変える」論の根拠(より現実的、短期志向)

  1. 権力構造のレジリエンス: 歴史的に、政府や金融大手といった既存の権力構造は破壊的技術に直面しても驚くほどの適応力と取り込み能力を示してきた。直接打倒されることはまれで、新技術を既存のフレームに取り込む方が多い。インターネットは好例で、去中心的な理想から生まれたものの、最終的には Google や Amazon、Meta のような新たな中央集権型企業が生まれ、各国の規制に取り込まれた。
  2. プロトコル外での支配: 権力の中心はビットコインのコアコードを変える必要はない。プロトコルの「周辺」を支配することで機能や影響力を変えられる。例として:
    • 出入口の規制: フィアットと暗号資産の交換口(取引所)をコントロールする。
    • カストディの掌握: ETF は実質的にビットコインの保管権をウォール街の少数のプレイヤーに集中させる。
    • 法律と税制: 利用方法に影響する有利・不利な法律を作る。
  3. ソフトフォークと開発の影響力: ハードフォークは難しいが、コア開発者を支援したり、特定のリサーチ方向を資金面で牽引したりすることで、権力はプロトコルの将来を間接的に誘導できる(たとえばプライバシー志向かコンプライアンス志向か)。

この観点では、郭宇の見方は歴史的経験と短期的現実によりフィットする。権力は「野獣を手懐ける」ことに長けており、呑み込まれることはほとんどない。

「プロトコルが人を変える」論の根拠(より理想的、長期志向)

  1. ルールの不可逆性: ビットコインに深くコミットすると、透明性、公開台帳、固定サプライといったルールを無視できなくなる。新たな堅いマクロ規律がバランスシートに穴を開け、政策担当者がそれを無視できない。
  2. トランスペアレンシー: ビットコインのトランザクションは公開され、アドレス単位で追跡可能だ。政府や企業が保有量や移動を隠せば、市場は即座に反応し、信認リスクにつながる。
  3. 退出コストの高さ: 一度ビットコインを制度内に組み込むと、抜け出す際のコストが極端に高い。「ここで降ります」と宣言するだけで市場は恐慌的にフロントランし、その主体は巨大な損失を抱える。これが paul の言う「プロトコル・トラップ」だ。
  4. グローバルな模倣: 一国がビットコイン基準を採用すれば、他国も競争上の理由で追随せざるを得ない。逃げ道がどんどん狭まる。

要するに、短期的には人(権力)がプロトコルを調整できるように見えるが、長期的にはプロトコルの堅いルールが人を調律し、その認知と行動を変えていくという両方向の張り合いだ。

Gemini

私は「いたちごっこ(道高一尺、魔高一丈)」のような綱引きと共進化が最も起こりやすいと見ている。

  • 短期(今後 5〜10 年): 「人がプロトコルを変える」トレンドが目立つ。規制が強まり、ETF のような中央集権的な金融商品が増え、ビットコインは「部分的に飼い慣らされる」。価格ボラティリティは低下し、郭宇の言う「ウォール街資産」に近づく。
  • 長期(今後 10〜30 年): 「プロトコルが人を変える」効果が徐々に現れる可能性がある。ビットコインの浸透率が一定水準に達し、国家や大型ファンドのバランスシートが深く紐づくころには、プロトコルの硬いルールが「反転効果」を発揮し、参加者は利用するだけでなくそのロジックに適応せざるを得なくなる。

結論として、人類はまずプロトコルの「遊び方」を工夫しようとし、やがてプロトコルのコアなルールがプレイヤー自体を変えていく。勝敗がはっきりしたゼロサムではなく、数十年スパンで続く絡み合った共進化の物語なのだ。

ニクソン時代の金本位制離脱と、将来起こり得る「ビットコイン離脱」?

「歴史上、米国はドルと金の兌換停止を一方的に宣言できた。ならば将来、国家はビットコインから離脱できないのか?」という疑問が出てくる。

金本位制離脱が当時「うまくいった」理由は何か?

  1. 情報の非透明性: 金の保有量や通貨発行量との対応関係を握っているのは政府と中央銀行であり、情報開示も彼らに依存していた。一般の市民や外国政府は米国の台帳をリアルタイムで正確に監査できなかった。
  2. 物理的な集中管理: 金は実物であり、国庫に保管されていた。ニクソンは行政命令ひとつで兌換窓口を閉じ、物理的に金の流出を止められた。
  3. 代替案の欠如: 1971 年、ドルはすでに世界貿易と準備通貨の中心だった。米国が兌換停止を宣言しても、他国にはすぐにドルを代替するグローバルな「ハードカレンシー」がなかった。彼らは純粋な信用ベースのドル体制を受け入れざるを得なかった。

では「ビットコイン離脱」はなぜ極めて困難で危険なのか?

仮にある国家がビットコインを重要な準備資産に積み上げているとしよう。戦争や景気後退などの危機対応で大量のマネー・プリントが必要になり、ビットコインの「規律」が窮屈だと感じた結果、「離脱」を決断したとする。

このとき国家は二つのジレンマに直面する。

  1. 選択肢 1:公然と「離脱」を宣言し、保有するビットコインをすべて売却する。

    • 世界が実況中継: ビットコインの台帳は公開透明であり、取引所に資産を移して売る準備をする動きは世界中に丸見えになる。市場は即座に意図を察知し、恐怖が広がる。
    • フロントランと踏みとどまり: 大量に売り始める前に、世界中の投資家が一斉にフロントランして売り浴びせる。結果としてその国家は極めて低い価格で保有分を吐き出し、大損害を被る。
    • 信用の破壊: その行為は「自国通貨がもはや頼りにならない。無制限に紙幣を刷る必要があるから最後のハードアセットすら放棄する」と世界へ宣言するに等しい。自国通貨は壊滅的に崩壊し、国民や海外資本は記録的な速度で通貨を捨て、ドルや金、さらにはビットコインへ逃避する。
    • 結末: 国家はハードアセットを安値で投げ捨て、自国通貨の信用を粉砕し、長期的にはビットコインのコンセンサスをむしろ押し上げる可能性がある。
  2. 選択肢 2:離脱だけ宣言し、ビットコインは売らずに保有し続ける。

    • 矛盾したシグナル: この行為も市場に「これから無制限に紙幣を刷る」と伝えることになり、選択肢 1 と同じく資本逃避と通貨安を招く。
    • 自家撞着の価格発見: 無制限に紙幣を刷るにつれ、保有するビットコインの自国通貨建て価値は急騰し、自国通貨の減価スピードがいかに速いかを国民に可視化してしまう。人々のビットコインへの逃避をさらに促す。

結論:エグジットコストが極端に高い。

金本位制と違い、ビットコインの透明性と分散性は「入るのは容易、出るのは地獄」という落とし穴を生み出す。

  • 金本位制離脱は、扉を閉じて「借金を踏み倒す」行為であり、情報の非対称と物理的コントロールによって世界に新ルールを強制できた。
  • ビットコイン離脱は、世界が見守るステージでの公開自傷行為であり、その行動は即座に市場に消化され、制裁を受ける。

だからこそ国家は当然ビットコインから離脱する選択肢を持つが、それは解放ではなく災難の始まりになる可能性が高い。この極端に高い「退出コスト」こそが、paul の言う「プロトコル・トラップ」や「反転した拘束力」のもっとも具体的な姿だ。参加者に長期スパンでゲームのルールを真剣に受け止めさせる。

結論:長期スパンの共進化

総合すると、二人の見方は異なる時間スケールでそれぞれ正しいのかもしれない。これは電撃戦のような革命ではなく、長く深い共進化に近い。

あなたはビットコインの終局をどう見ているだろうか。飼い慣らされた猛獣なのか、獲物のふりをした忍耐強いハンターなのか。

これからの 10 年は、この壮大な金融実験を観察するうえで最もエキサイティングな期間になるに違いない。

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